2007年4月30日月曜日

ジャズでも聴いてみましょうか

ジャズの音楽を楽しめるようになったのは、最近のこの1,2年のことです。それまで私は、なかなかこの音楽に親しむことができませんでした。

聴いてみれば、本当に素晴らしい音楽の世界があったのに。!

随分回り道をしたのだと思い、これまでジャズをあまり聴いてこなかったことが少し残念です。

でも、逆に言うと、あまり聴いていないということは、これから将来この音楽を聴くたくさんの楽しみが待っているということですよね。

これは吉田秀和氏が何かの本の中で言っていることのうけうりになってしまいました。

もう10年ほど前、私も「そろそろジャズも聴いてみよう。楽しもう。」と思い、名盤と言われたマイルス・デイビスとチャールズ・ミンガスのCDを買い、聴いてみたました。曲名等は忘れました。

しかしそれが、私には合わなかったのです。確かに名盤なのでしょうが、当時クラシックに夢中になっていた私にとっては、少しも楽しくないのです。

この最初の出逢いがまずかったのですね。私はそれ以来、ジャズの音楽から遠ざかってしまいました。

それが、ある曲をきっかけに、この音楽への素晴らしい再会を果たすことができたのでした。

2007年4月29日日曜日

マタチッチという指揮者のこと

マタチッチという指揮者を好いています。

この指揮者のことを初めて知ったのは、NHK交響楽団の演奏会のテレビ番組によってでした。何度かN響の客演に訪れていたようですね。

テレビ放映によって、ベートーヴェンの交響曲第7番・第9番、ブルックナーの交響曲第8番、ブラームスの交響曲第1番などの名演を視聴したように記憶しています。

もう既に高齢で、足下も覚束ない様子が見られました。指揮台に上がるのにもコンサートマスターの手をかりなければなりません。

しかし一度指揮台にあがれば、少ない動きではあっても的確な指先の魔法の指示によって、極めて重厚な音楽を作り上げるのでした。

彼は語ったそうです。「私は椅子に座って指揮はできない。100人もいるオーケストラを椅子に座ったままでドライブすることはできない。」と。

何だかこれは、人生における一つの重要な教訓を教えてもらっているような感じですね。本物のプロとしての重みのある言葉だと思います。

職人気質の頑固親爺から発せられるような言葉です。

2007年4月28日土曜日

プーランク 「ピアノ、オーボエとバスーンのための三重奏曲」


プーランクの音楽は好きですね。軽妙洒脱で溌剌としたフレーズの連続。そしてその中に挟まれるリリシズムに溢れた楽想。


ワーグナーやブルックナー、マーラーの音楽を聴いた後プーランクを聴くと、何と気持ちが晴れ晴れとすっきりとすることでしょう。


プーランクの音楽は協奏曲も、室内楽も歌曲もみんな好きです。特に室内楽は、色々な楽器の組み合わせの曲があって、興味が尽きません。


数年前に、ジャック・フェヴリエのピアノにミシェル・デボストのフルート、そしてパリ管楽五重奏団によるプーランクの室内楽曲集というLPレコードをあるところで100円で買いました。


こんな素敵なレコードがたった100円で手に入って、しかもこれが今では私の宝物になっています。


ピアノ、オーボエとバスーンのための三重奏曲は、プーランク自身、非常に気に入っていた曲らしいですね。


両端楽章の音楽は彼特有の軽妙さが最高に生かされた音楽ですが、凄いのはその中に洒落た味わいが隠されていることです。


中間楽章は一転してリリシズムに身をまかせた美しい旋律を聴くことができます。

2007年4月27日金曜日

ハンス・ロット 交響曲

夭折の天才作曲家というと、アリアーガやハンス・ロット、ギョーム・ルクーの名が浮かびます。

どの作曲家も、印象に残る作品があります。

ハンス・ロットは1854年生まれですから、時代でいえばドビュッシーやマーラーの頃の人です。ブルックナーの弟子だったと言いますが、音楽の傾向としてはマーラーと同じでしょうか。

代表作は交響曲ですが、これは22歳の時の作品だそうです。その後彼は約4年ほどしか生きられませんでした。

この曲は、楽章が進むにしたがって演奏時間が長くなるという、ある意味で面白い構成をしていますね。

第4楽章は20分以上もかかる長大なフィナーレです。お気に入りはやはりこの第4楽章です。

巨大なフーガによって音楽がつくられ、最初の主題が堂々とクライマックスを築き上げます。

美しいメロディが次々に現れ、その都度耳が吸い付けられるようです。

2007年4月26日木曜日

シュポアのクラリネット協奏曲集 ライスターのクラリネット

シュポアには、交響曲の他協奏曲、室内楽など佳品があり、時々レコードを聴きます。中でも、クラリネット協奏曲集は、お気に入りです。

レコード棚には、ライスターのクラリネットとブルゴス指揮バイエルン放送響のオーケストラのものがあります。

オルフェオから2枚組で出ていたLPレコードです。今ではCDで再販されているのでしょうか。

ここでのライスターのクラリネットは、音楽性・技巧ともに本当に感心させられますね。磨かれた音色と共に全てのフレーズが淀みなく流れ出てきます。

このレコードは録音も良いので、ついつい手が伸び、しばしば我が家のターンテーブルに乗ります。今では少し雑音が出るようになってしまいました。

しかしこれはLPレコードでなくてはなりません。CDの再生では、柔らかく繊細な音質が出てこないのです。

曲は3楽章構成で大体同じようなお決まりなパターンなのですが、聴いた後の清々しさは他にないものがあります。

ライスター賛!

2007年4月25日水曜日

バッハ 「マタイ受難曲」 ヘフリガーのテノール

バッハのマタイ受難曲を好んで聴くという人はあまりいないと思われますがどうでしょうか。

私もあまり聴いてはいません。実演では2度聴いたことがあります。ライプチヒ・ゲバントハウスの演奏によるものです。

レコード棚には、カール・リヒターの名盤があり、時々聴きます。聴くといっても、内容が内容だけに、このような曲の全曲を何度も聴くわけにはいきません。

お気に入りの部分を聴きます。

私の一番にお気に入りは、曲の番号で言うと第26番、オーボエのソロとテノールを主とする音楽です。「われはわがイエスのもとに目覚めおらん。」と歌います。

この曲の音楽の素晴らしさにも感嘆しますが、何と言ってもヘフリガーの歌唱の見事さ、これは完璧で凄みさえ感じられます。

テクニック的には言うまでもなく、本当に魂のこもった歌い方。!

オーボエの美しいソロとヘフリガーの絶妙なテノール、そして合唱による音楽の交錯。

この部分に、私は何度も打たれました。

2007年4月24日火曜日

モーツァルト フルートとハープの為の協奏曲 ランパル、ラスキーヌのレコード


モーツァルトのフルートとハープのための協奏曲。

この曲は、モーツァルト二十二歳(1778年)の時、パリを訪れた時に知り合ったド・ギーヌ公爵という人とその娘のために作曲されたのだそうです。

娘の婚礼の場で、フルートの上手な父親とハープの上手な娘が父娘仲良く演奏するために作曲されたものだということです。 娘はモーツァルトの作曲の弟子でした。

まさしく私は結婚式に招待されたその席で、この曲を数度にわたって聴いています。

「典雅しかも優美、ゴージャスでしかも礼儀正しい」…。婚礼の音楽として文句の言いようもなく相応しい曲ですね。

25年も前、1時間かかる通勤の車中で、毎日毎日飽きもせず聴いていた曲がこれです。

ランパルのフルートとラスキーヌのハープの独奏によるエラートのレコードをカセットテープに録音したものを聴いていたのです。

「極上の音楽」がここにあります。

2007年4月23日月曜日

癌から生還して初めて聴いた音楽は… Ⅱ

癌の手術後、はじめて聴いた音楽……。それは、シューベルトのピアノのための三つの小品D946でした。

少し大げさですが、私が生まれ変わって初めての記念すべき曲、それがシューベルトのこの小品だったというわけです。

この美しい作品、特に第二曲を何度も聴き、私は思わず涙をこぼしてしまいました。恥ずかしいことですが。

何という美しい曲なんだろう。!

そして、私は生きて戻れたのだ。!

本当にそう、実感できた瞬間でした。

音楽を聴いて感動するということが、こんなに身にしみて迫ってくることは、この時以上には他になかったように思います。

入院中、その後も、音楽を聴ける時間は、ほとんどこのシューベルトの作品と共に過ごすことになりました。

シューベルトのピアノのための三つ小品D946、第二曲。私の人生の返り咲きと共に咲いた一輪の花。!


演奏は、館野泉さんのCDでした。文句なく、美しく、素晴らしい演奏です。

2007年4月22日日曜日

癌から生還して初めて聴いた音楽は… Ⅰ

私は3年前、胃癌に冒されました。幸いなことに、初期として発見され、胃の2/3と胆嚢を摘出することで、死からは免れたのです。

癌の宣告を受け、入院の段になりました。

生きられる可能性があるとはいえ、この病名を告げられたことで、当然ショックを受けることになったのですが、入院中、音楽は聴きたいと思い、いくつかのCDを病室に持ち込みました。

シューベルトのピアノのための三つの小品、ソナタ。マーラーの交響曲第3番・第9番。ベートーヴェンの交響曲第3番。ジャズで、ブルーベックのアット・カーネギー・ホール。等々。

手術直前は、流石に緊張していたのでしょうか、全く音楽を聴くことがありませんでした。というよりも、あんなに好きな音楽なのですが、「聴く気になれなかった。」というのが、正直なところだったと思います。

そして、手術に成功。私は生きていられたのでした。


手術後、ポータブルCDの中に入れて、私が初めて聴いた音楽は……。

2007年4月21日土曜日

ベートーヴェン 「交響曲第7番」 クーベリック、バイエルン放送響


ベートーヴェンの交響曲第7番のレコードでは、私はクーベリックがバイエルン放送交響楽団を指揮したものを大切に聴いてきました。


冒頭の和音の響きに、一気に引き込まれてしまいます。


他の録音よりも、各楽器の音を多少長めに保たせているせいでしょうか、音に広がりといいましょうか余裕といいましょうか、とにかく大きな堂々たる音楽が現れます。


この冒頭では、他のどんなレコードをもってきても、私の中では、満足できるものはありません。素晴らしいと思います。


その後の音楽の展開も、確固たるテンポをもって、厚みのある揺るぎない音楽が展開されていきます。


最終楽章の表現も素晴らしい。


フルトヴェングラーのように、音楽の表現に即してテンポを遅めたり速めたりする行き方とは違いますが、非常に興奮させられる演奏です。

2007年4月20日金曜日

ドヴォルザーク 「交響曲第8番」 ミュンシュ、ボストン響

ドヴォルザークの交響曲第8番は、私はまず第3楽章が大変気に入り、次いで第4楽章、第2楽章、第1楽章と好きになりました。

第3楽章は、正にメロディーメーカーであるドヴォルザークならではの名旋律で始まりますね。

この楽章自体は、彼のスラブ舞曲に類するもののようにきこえます。

この楽章は、ドラマやイベント等、何かのテーマ曲として使い勝手が良いのではないでしょうか。

第4楽章は、楽しい変奏曲形式です。途中で西洋音楽としては何だか野暮ったいと言いましょうか、どこかの田舎の楽隊か何かが奏するような伴奏に乗って、例の「黄金虫」(に似た)の旋律が出てきます。

音程を下降させながらこの部分が繰り返されますが、音楽の野暮ったさとも相まって、この部分が何ともユーモラスにきこえて私は好きですね。

今はあまり聴かなくなってしまいましたが、聴くとすれば、ミュンシュ指揮ボストン交響楽団の演奏のものです。

豪放で見通しが良く、大変立派な演奏です。

2007年4月19日木曜日

イベール 「ディヴェルティメント」

イベールの音楽に初めて出会ったのは、フルートとギターのための「間奏曲」でした。スペイン風の洒落た佳曲ですね。

フルートやギターをやっている人の中には、この曲を好んでいる人が多いのではないでしょうか。私は、実演で二度、聴いています。

20世紀に入ってからの作曲家ですが、聴きやすい曲が多いですね。

室内オーケストラのための「ディヴェルティメント」は、オーケストレーションが精緻で、洒脱・軽妙で楽しく、私は大変気に入っています。

イントロダクションやワルツ、パレード、フィナーレなど、楽しさの限り。自然に体が動き出しそうです。

このような曲の面白みを出すのは、結構難しいのではないでしょうか。

軽やかな曲想が多いのですがその筆致は精緻にできていますね。クラシックばかりに凝り固まったオーケストラ奏者や指揮者には、なかなかうまい表現はできないような気がしています。

愛聴盤は、マルティノンのデッカ盤です。録音も大変よく気に入っています。

何年か前に聴いた、高関健さん指揮群馬交響楽団の定期演奏会での生き生きとした演奏も忘れられません。

2007年4月18日水曜日

ケンペ、ミュンヘンフィルによるブラームスの交響曲第1番


ケンペ指揮ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団によるブラームスの交響曲全4曲のレコードは、名盤の一組に数えられていますね。

交響曲第1番の演奏を私は大変気に入っています。

本当に力みが全くなく、自然で柔らかな、それでいて確固たる歩みを持った演奏。第4番の演奏などとは、方向が大分異なるような気がして、「これはどうしたことかな」と少し首を傾げてしまいます。

といっても、悪い意味ではなく、異なることに面白みがあるということにおいて。

私は、ミュンシュの豪快な演奏も、バルビローリのねっとりとした演奏も、フルトヴェングラーの……。

とにかくどの指揮者の演奏も好きなのですが、中でも一番のお気に入りは、このケンペ、ミュンヘンフィルの演奏なのです。

冒頭の音の出方で私はいっぺんに痺れてしまいました。何という柔らかな、やさしいブラームスなのでしょう。

このようなブラームス演奏は、もっともっとあってよいでしょう。ただでさえ彼の音楽は暗く重々しくなりがちなのですから。

2007年4月17日火曜日

プライのシューマン 歌曲集「詩人の恋」

シューマンの歌曲集「詩人の恋」を初めて聴いたのは、30年以上も前、ヘルマン・プライが何かのコンサートで歌ったものでした。

HHKFMの海外のコンサートの番組だったと思います。その頃は、音楽はもっぱらFM放送を聴いていて、気に入った音楽をせっせとカセットテープに録音して残していました。

昔のテープがいくつも残っていますが、いまだに時々聴いているものもありますが、ほとんどは聴けなくなってしまったり処分してしまったりしています。

所謂「ラジカセ」で聴いていた時代です。多くの人が同じ道をたどっているのではないでしょうか。大変懐かしく思います。

さて、このプライの詩人の恋は、第1曲の「美しき五月に」の途中から録音が始まっています。多分、当時このコンサートに気付き、慌てて録音をしたのだと思います。当時のことを思い出します。

プライの歌唱は、まだまだ若々しく、この曲集の雰囲気に相応しい歌い口が伝わってきました。

第7曲の我は恨まじ(Ich grolle nicht)」。私はこの曲が大好きなのでした。プライは、愛は失われても恋人は恨みたくないという気持ちと、その心の葛藤を見事に表現しています。

2007年4月16日月曜日

エルガー 「チェロ協奏曲」 デュ・プレ、バルビローリ


天才女流チェリスト、ジャクリーヌ・デュ・プレの生涯を描いた映画「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」は音楽ファンのみならず映画ファンに衝撃を与えましたね。


この映画の内容には触れません。


エルガーのチェロ協奏曲は、この映画で流れていた音楽です。


この曲の名演奏は多いようですが、どうしてもジャクリーヌ・デュ・プレと結びつけて考える人が多いのではないでしょうか。


少し甘い憂鬱、ほのかな哀愁を漂わせた佳曲として、私の愛聴曲となっています。私のレコード棚には、デュ・プレのレコードがあります。バルビローリの指揮のものです。


まぁ本当に素晴らしい名演です。何とこれは、20歳の時の録音だそうです。私が20歳の時は何をしていたでしょう。比較すると、恥ずかしくなってしまいますね。


オーケストラのトゥッテをも越えようとばかりにバリバリと弾き切るフォルテシモ、心を込めて哀愁を描いた第3楽章の表現…。聴くべきところが随所に登場してきます。


このレコードは、デュ・プレの演奏を聴くためのレコードです。

2007年4月15日日曜日

アレンスキー 「ピアノ三重奏曲第1番」 ボロディントリオ

アレンスキーの名は、チャイコフスキーや所謂五人組の次に続く「第2世代」として、あまり注目されずにきたのでしょうか。

しかしその音楽は、ロマンティシズムをたたえ、心地よく聴き手に迫ってきます。

彼の作品32,ピアノ三重奏曲第1番を時々聴きます。

第1楽章の冒頭。ヴァイオリンとチェロが絡み合い交錯するメロディーは、本当にむせ返るような非常に濃いロマンティシズムが現出します。チャイコフスキーの影響を受けているのでしょうね。

どの楽章も、メロディーの宝庫です。

第4楽章では、第3楽章で描いたエレジーの行方を払いのけようかというように、音楽は力強く始まります。

で、その次に出てくるのは、またもや美しいメロディーたちです。終末には第1楽章のメロディーが懐かしくも回想され曲を閉じます。

ボロディントリオのCDを時々取り出します。

2007年4月14日土曜日

ブルックナー 「交響曲第1番」 ヨッフム、ベルリンフィル

ブルックナーの交響曲第1番を久しぶりにヨッフム指揮ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の演奏で聴きました。グラモフォンの廉価盤LPです。

この交響曲は、ベートーヴェンの確固とした構成、シューベルトの抒情的なメロディー、ワーグナーの壮大さと動機の活用など、先人達の功績を融合し敷衍したような作品となっています。

これまでのお勉強の成果を、いよいよ世に問うたということでしょうか。

40歳を過ぎてからの第1交響曲であり、他の交響曲作曲家に比べれば、決して早く作曲されたとは言えません。

しかし、きこえてくる音楽は、瑞々しく、美しく、そして力のこもったものとして、若々しさを感じさせる素晴らしいものですね。

私にとっては、非常に勇気づけられる音楽です。

このレコードでは特に第1楽章の終末部。大きくクライマックスを築きしめくくるのですが、ここでのヨッフムの指揮は、凄まじい突進力を見せます。

クレッシェンドとともにアチェレランドをかけ、聴き手を興奮させます。

ここに、ブルックナーを素材にしたヨッフムの、大きな意志力といったものを強く感じるのです。素晴らしい!。

2007年4月13日金曜日

モーツァルト 「クラリネット五重奏曲」 プリンツのクラリネット

モーツァルトのクラリネット五重奏曲は、ただただ美しく、聴く者の心を深く包み込むような音楽です。

私にとっては、モーツァルトの作品の中でも、最も好きな楽曲の一つになっています。

本当に素晴らしく、交響曲や協奏曲のような派手さ華やかさはないかも知れませんが、身に沁み、心に沁み入る天上の音楽です。

どの楽章も、音を選びに選び抜き、無駄をなくし、本当に必要なものだけを残して音にしたような音楽作りになっているような印象です。

第4楽章の変奏曲を毎日のように聴いていた時期がありました。とりたてて独特な作曲上の工夫がみられるわけではありませんが、無邪気なテーマが素晴らしい変奏に変わっていきます。

以前は、ライスターとベルリンフィルのメンバーによるLPをよく聴いていましたが、今はプリンツとウィーンフィルのメンバーのCDです。音、音楽はウィーンそのもの。

正に正攻法に徹した演奏で、純粋に音楽を楽しむことができるCDです。長く聴き続けていくことでしょう。

2007年4月12日木曜日

ブラームス 「弦楽六重奏曲」 アマデウス弦楽四重奏団他


ブラームスの弦楽六重奏曲第1番は、かつての愛聴曲でした。
今はほとんど聴かなくなってしまいました。

先日、この曲の第2楽章をギター二重奏による演奏で聴き、懐かしみながらあらためて良い曲だと思い返しました。

ギターはイギリスの名手二人、ジュリアン・ブリームとジョン・ウィリアムスです。素晴らしい音楽表現でした。

この第2楽章は、確固とした変奏曲形式で構成されていますね。

さて、この曲は、ブラームス24歳の時の作品だそうです。この年齢からして、何とも枯れているような印象ですね。

メロディーの素晴らしさは言うまでもないことですが、この若さでこれほど重く枯れた音楽をかいたブラームスという人は、「一体どういう人なのでしょう?」と、思わず首をかしげてしまいそうです。

以前聴いていたのは、アマデウス弦楽四重奏団にヴィオラのアロノヴィッツ、チェロのプリースを加えた盤です。ブラームス作品のほの暗さに正にぴったりと合った演奏で、好きでした。

2007年4月11日水曜日

ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲第1番

ショスタコーヴィチのピアノ協奏曲第1番は、大変面白く聴ける曲ですね。

抱腹絶倒の協奏曲とでも言いましょうか。私はこの曲は、草津音楽フェスティバルで、実演で聴いてからすっかり好きになってしまいました。

編成からしてユニークで、独奏ピアノと弦楽合奏に独奏トランペットが加わるというものですよね。

ピアノとトランペットの掛け合いが何ともスリリングで楽しいのですが、こんな編成を考えつくのはショスタコーヴィチぐらいのものでしょうか。

第4楽章は、ショスタコーヴィチがやりたい放題のことを音で表現したとでもいいたくなるほど、ある意味で凄い曲に仕上がっています。

この曲は何かを皮肉っているとか、諧謔性の裏に意味があるとか、そういうことはよく分かりません。

私は純粋に、このお祭り騒ぎ、「パッパラパー」のこの曲この楽章を、いつも笑いをこらえながら聴いているのです。

2007年4月10日火曜日

ショーソン 「交響曲変ロ長調」 フルネと群響の演奏

ショーソンの作品はあまり多くありませんが、その一つ一つの作品にはまってしまう人は結構いるのではないでしょうか。

交響曲にしても、詩曲(ポエム)にしても、ピアノ・ヴァイオリンと弦楽四重奏のための協奏曲にしても、皆独特の魅力にとんだ作品ですよね。

交響曲は、実演で一度聴いたことがありました。ジャン・フルネさん指揮の群馬交響楽団の定期演奏会での演奏です。

それは大変素晴らしい出来事として、私の脳裏に焼き付いています。

群馬交響楽団が、敬愛するフルネさんの指揮棒を信じ、一心に音を出している様までもが伝わってきて、大変感動的な演奏会だったように記憶しています。

作品自体は、メロディーが大変美しく、詩的な雰囲気を漂わせた音楽ですね。循環形式を用いているとのことですが、私の意識はあまりそのことには向かわず、もっぱらメロディーの美しさや雰囲気に気持ちが浚われました。

あの時の演奏では、第3楽章で第1楽章の主題が回想され、若干の盛り上がりの後オーケストラのトゥッテが現れますが、その時のフルネの響かせ方が何とも素晴らしく、耳に残ります。

2007年4月9日月曜日

マニャール 「交響曲第4番」 プラッソン、トゥールーズ・カピタル国立O


フランスの交響曲作曲家といって、誰を思い浮かべるでしょう。

マニャールは、そのフランスの交響曲作曲家といってよいでしょうか。4つの作品を残していますからね。

1865年生まれですから、年代から言えば、クロード・ドビュッシーとほぼ同じなのですね。音楽の響きはまるで違いますが。

マニャールの交響曲はどれもが魅力的ですが、私は特に第4番がお気に入りです。

響きとしては、ブラームスやマーラー、ワーグナーあたりが混じったような感じにきこえます。分厚い響きあり、美しいメロディーあり、劇的な音楽の進行…。

第1楽章に少し神秘的で美しいメロディーがいくつか出てきますが、大変に魅力的です。耳が自然と張り付いていきます。

プラッソンとトゥールーズ・カピタル国立Oのレコードをよく聴いています。これはデジタル録音ですが音もよく気に入っています。

2007年4月8日日曜日

モーツァルト 「ピアノ協奏曲第22番」 バレンボイムのピアノと指揮

モーツァルトのピアノ協奏曲は、そのどれもが魅力に溢れていて、「好きな曲を一曲あげてごらん」などと言われても困ってしまいますね。

22番のバレンボイムの演奏を取り上げましょう。これは彼がオーケストラを指揮しながら弾いた演奏ですね。

この演奏のことを知ったのは、宇野功芳氏のクラシック音楽の名盤を紹介した本によってでした。

詳しくは忘れてしまいましたが、そこには、この演奏が変幻自在の演奏であり、一瞬一瞬が絶妙のニュアンスで奏されている極めつけの名盤であるというようなことが書かれていました。

私はこのレコードは、仙台レコードライブラリーという初期盤を扱うレコード店から手に入れました。これがまた、幸いしました。

その高音質とも相まって、宇野氏の言葉通り、素晴らしい演奏にいっぺんにこのレコードが好きになってしまったのです。

冒頭の分厚いオーケストラの響き。まずは、ここで耳が一挙に奪われてしまいます。

それに続くピアノ演奏がまた、フレーズごとにニュアンスが変化する、宇野氏言うところの正に変幻自在の表現です。

どのフレーズも、きちんとした意味を持って聴き手に迫ってくる。単に音が出ているだけのフレーズは一つもありません。

「一つ一つのフレーズに息が吹き込まれ、それが有機的に絡まっていて、音楽全体が生き物のように蠢いている…」などと勝手に表現してみました。

音楽を聴く楽しみが、一瞬一瞬に現れて、時間を忘れてしまうレコードです。

2007年4月7日土曜日

シューベルト 歌曲集「冬の旅」 エルスナー(T)と弦楽四重奏による伴奏

シューベルトの歌曲集「冬の旅」は、本当に魅力的な曲集ですが、気軽に聴く気にはなれない時があるものです。

でもやはり、素晴らしいですね。この曲集は。

ツェンダー編曲、テノールのプレガルディエンの演奏のCDは以前から話題になっていて、私もすぐに買い求め、聴いてその音楽世界に驚きました。

この曲集には、オリジナルのピアノ伴奏のほか、ツェンダー編のオーケストラによる伴奏や、ギターによる伴奏、弦楽四重奏による伴奏のCDがあるようです。

その他にもあるのでしょうか。

さて、テノールのエルスナーとヘンシェル弦楽四重奏団の演奏によるCD。これは以前に買っておいたものですが、大変面白く聴きました。

ピアノと違い弦楽器は音を長く保つことができます。そのことによって、細やかな繊細な表現を可能にしているように思いました。

オリジナルでは、ピアノのあの、「ポツポツ」とした響きが、この曲集の表現内容と見事にあっているように思っているのですが。

エルスナーは、美声を生かして、これまた繊細に丁寧に歌い込んでいきます。大変誠実な歌いぶりに好感を覚えました。

時々取り出しては聴いてみたいCDの一つになりそうです。

2007年4月6日金曜日

シューベルト寂寞の音楽 「ピアノ三重奏曲第2番」

シューベルトは、「私は楽しい音楽というものを聴いたことがない。」と、常々語っていたそうです。

彼の音楽は、美しく親しみに溢れてはいますが、聴いているうちに、寂寞感を伴ってあてどもない孤独な世界へと、いつの間にか連れていかれてしまうことがあります。

ピアノ三重奏曲は、そのようなことを実感するに足る音楽です。

どちらも素晴らしいのですが、最近は第2番の方をよく聴きます。

第2楽章は、この曲の白眉です。シューベルトの室内楽作品の内でも、最高の傑作と言えるのではないでしょうか。

この楽章が表現している世界は、シューベルトの心の内を語っているものなのでしょうか。

言いしれぬ孤独感と絶望感が、ひたひたと忍び寄ってくるような音楽内容です。冬の旅に共通するものがあるように思えます。

第3楽章。力強いスケルツァンドの音楽が続くと思ったとたん、突然、PPで淋しげな一節が割り込んできます。寂寞の思いに引き戻されるような…。

私はこの曲は、エテルナのベートーヴェントリオの演奏でよく聴きます。

2007年4月5日木曜日

ハイドン 「弦楽四重奏曲第35番 ヘ短調」 東京クヮルテット


日本が世界に誇れる音楽家というのは、今ではどのくらいいるのでしょう。最近の演奏家事情にはとんと疎いので分かりませんが、たくさんいるのでしょうね。

日本人として、大変に誇らしいというか、嬉しいというか、本当に素晴らしいことだと思っています。

東京クヮルテットも、もう昔から、そんな世界に誇れる音楽家の一つの団体として活躍してきましたね。詳しくはあまり知りませんが。

レコード棚には、東京クヮルテットが吹き込んだハイドンの弦楽四重奏曲のレコードがあります。第34番及び35番です。

これは1979年の録音といいますから、何と30年も前のレコードなのですね。

私は第35番の演奏を好んで、聴いてきました。東京クヮルテットの、正につぼにはまったリズムとテンポの演奏。

第1楽章の冒頭から、彼らの躍動する音楽がきこえてきます。憂いを帯びた調子で音楽は始まり、伸び伸びとした4つの弦楽器のフレーズが耳に入ってきます。

第3楽章はシチリアーノ風の楽想ですが、私はこの音楽がとても好きです。ここでは、第1ヴァイオリンがオブリガート風にからんできますが、ここはため息が出るほど素晴らしい。

長く聴いていくレコードの一つです。

2007年4月4日水曜日

リムスキー=コルサコフ 「交響組曲 シェエラザード」

リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」は、正に音の絵巻物というに相応しい音楽ですね。

私が高校時代、音楽の教師がこの曲の有名なメロディー、シェエラザードを表すテーマを鼻歌のようにいつも口ずさんでいたことを思い出しました。

彼は、よっぽどこの音楽が好きだったのですね。

それにしても、この曲の素晴らしさは、またなんと言ったら良いでしょう。

まるで目の前に現れるような音による情景描写。豪華絢爛たるオーケストレーション。同一主題の巧みな変奏と用法。……。

どれをとっても、見事というしか言葉が見つかりません。音楽の冒頭部分から、アラビアンナイトの不思議な世界に誘われるようです。

久しぶりに、また聴いてみましょう。

レコード棚にあるのは、コンドラシンの盤とロストロポーヴィチの盤です。どちらを聴きましょう。どっちも聴くことにしましょう。

2007年4月3日火曜日

ロッシーニ 「チェロとコントラバスのための二重奏曲」

ロッシーニのチェロとコントラバスのための二重奏曲を初めて聴いたのは、10年ほど前の草津音楽フェスティバルでの室内楽のコンサートでした。

かつて私は、地元であったこともあり、草津音楽フェスティバルに毎日繁く通っていた時期がありました。

1998年のフェスティバルでは、「ベートーヴェンの時代」がテーマとして掲げられ、ベートーヴェンと同時代の作曲家の作品も含め、魅力的な作品の数々が毎日奏されていました。

この年は、都合17日間のコンサートのうち、私は9回通っています。

チェロとコントラバスのための二重奏曲は、5日目の室内楽コンサートの演目にあげられ、チェロ:マルティン・オスタータークさん、コントラバス:長島義男さんによって演奏されました。

ロッシーニらしい流麗で楽しく、伸び伸びとしたメロディーが次々の紡ぎ出されていきます。第3楽章には、例のロッシーニ・クレッシェンドの妙。

息のあった二人のデュオは、完璧に私の耳をノックアウトしてしまいました。素晴らしい!絶妙なメロディーの歌わせ方と、そしてまた、第3楽章の超絶技巧。楽しい、楽しい一時でした。

家にあり、時々聴くのは、草津音楽フェスティバルの名解説で既にお馴染みの井坂紘氏がプロデュースしたレコード、イエルク・バウマンのチェロとクラウス・シュトールのコントラバスによる二重奏です。

これも素晴らしい!

2007年4月2日月曜日

ヘンデル 「フルートソナタ集」 ランパル、ラクロワ

ヘンデルの音楽は、楽天的で、気軽に肩の力を抜いて聴けるような気がします。

同じ時代の大作曲家でも、バッハの音楽を聴く時とは随分違います。

ちょっと鬱陶しい出来事があった時など、ヘンデルの音楽を聴くと、自然と心が和んできます。ちょうど良い清涼剤のように効きます。

私はヘンデルの音楽には、フルートソナタから入りました。20年以上前に買ったLPを未だに聴くことがありますが、それがランパルのフルート、ラクロワのチェンバロによる演奏です。

非常に明るく伸びやかで開放的、それでいて、少し憂いのある洒落た演奏。私は十分に楽しみました。

ランパルの奏する装飾音は、これはどうもフランス的というのでしょうか。私好みのものですが、フルートの専門家の方々はこのやり方をどう評価しているのでしょう。

2007年4月1日日曜日

ベートーヴェン 「弦楽四重奏曲第10番 ハープ」

ベートーヴェンの中期の弦楽四重奏曲の中では、最も聴く機会が多いのは、第10番のハープです。その他の作品のどれも傑作で素晴らしく、それぞれに凄みを感じる作品群ですがね。

この曲の聴き所はやはり、第1楽章のハープの命名のもとになった、ピチカートで奏される部分でしょうか。第1主題の後に、それぞれの楽器に受け継がれながら登場してきますね。

ピチカートも特徴的で興味深く感じられるのですが、私はこの曲全体に現れる流麗でしかも緊密感のあるメロディーやフレーズに耳を奪われます。

そうなると、もう、第1楽章のことだけを書くわけにいかなくなってしまいます。どの楽章も凄くて…。

第1楽章では、特に私は、コーダの最後の部分に感嘆してしまいます。

例のハープの音型が示され、同じ音型が繰り返されながら徐々に音楽が盛り上がっていく部分です。
流麗かつ華やかな音楽が迸り出て行きます。

この部分を聴くと、何だか、生きていることの喜び、生きる希望や勇気といった精神的なものを与えてくれるような気持ちになります。

ブダペスト四重奏団のレコードが決定版と言われるくらい有名で、私も持っていたのですが、今はありません。

多分私の耳が悪かったり、装置が悪かったりするのが原因ですが、音が「ぎすぎす」しているように感じられてしまうのです。何度も聴いてみたのですが、結局ダメでした。

ベートーヴェン演奏では、一部受け入れられていないようですが、今はアルバン・ベルク四重奏団の流麗な演奏のLPを聴いています。